2005年 07月 09日
真夜中のスーパーマーケット |
引越し先のマンションの近くに、夜中の1時までやっている
スーパーマーケットがある。
子供がようやく寝付いて(保育園で、お昼寝をしているせいか
とにかく寝てくれない。ずうっと寝るまでそばにいるのだが、
元気でナカナカ寝ない。気がつくといつも一緒に寝てしまう…。)
一口、ビールでも飲みたくなった。今日はなんといっても金曜なのだ。
コンビニでもいいのだが、
なんとなく、車はスーパーマーケットに向かう。
煌々と明かりのついた広い店内には、お客は
つねに2、3人しかいない。
こんなんでだいじょうぶなのかなぁ、と要らぬ心配をしつつ
のんびりと、店内を物色する。
最初は飲み物をちょこっと買いに来たつもりだったのだが、いろいろと
野菜やら、掃除関係の雑貨やらを吟味しつつ籠にいれてしまう。
じっくり誰にも邪魔されず、掃除用具をあれこれ物色できる
楽しさよ。
ああ・・・・いかに普段、自分の行動が制約されているか
あらためて気づかされる。
いつも時間に追われ、日用品の買い物さえ、普通にすることも出来ないのだ。
ひんやりとした店内、もうすぐ夜中の1時だ。
コンビニではない、スーパーマーケットの1時。
まったく不思議な空間だ。
気がつくと客は私一人になっていた。
両手にずっしりと買い物袋を提げて、車まで歩く。
どこの店も、静かにシャッターを下ろし、人影は無い。
車もまばらだ。
好きな音楽を大きめにかけて、車を発進させた。
なんだか、純粋な自由の感じを私はしっかりと思い出し、
味わっていた。
水滴がついてくぐもった車の窓から見える、
夜中の景色は、
どこまでも無制限に自由を感じられた20代の風景のように見えた。
聞こえてくる、音楽は
いつでも自由に好きな音楽を聴いて
こころを躍らせることが普通だったころの自分を
思い出させた。
マンションの駐車場についても、
車から降りる気になれなかった。
しばらく、静かに音楽を聴き続けた。
今の自分にも確かに孤独が自身の幹の中心に
当たり前のように座り込んでいた。
結局いつの自分にも
自由は確かに含まれているものだった。
たった1曲が終わる、数分の間に
自由の凝縮をためこもうと、
必死に車の座席に身を沈めこんだ。
もしかしたら、今までで一番の
本当の自由の気分がそこにあったのかもしれない。
by crayon-pastel
| 2005-07-09 01:55
| life