2004年 10月 16日
形を変えて |
以前、渋谷の古いビルにあるプラネタリウムに行った。
今はもう無いプラネタリウムだ。
大きく、古く、どっしりとした風格。
真面目に星の勉強ができそうな、
落ち着きのある空間。
長い間、大事に使われてきた
人の手がきちんと入っているような、
味わいさえ感じさせる
地味だけど、居心地のよいプラネタリウムだった。
想像を絶する、広い広い宇宙空間で、
たくさんの星が生まれて、死んでいく。
私は、珍しく、そのとき、宇宙人について
考えていた。
これだけの星があって、たまたま地球に人間がいるが、
ほかの遠い星にも、たまたま宇宙人がいても
不思議は無いだろう。
しかし「宇宙人」といっても、人の形をしているとは
どちらかというと思えない。
地球人が、認識できないような
形状やら、状態やらで、生きているのかもしれない。
重力も当然違うから、
基本となる、生き物の形は、根本的に
その環境に左右されるだろう。
全く、理解不能な信じられないような
世界があっても当然不思議ではないだろうなぁ。。。
等等。
昔から、理科の授業で、星とか、宇宙の話になると、
いろいろ想像が果てしなく膨らんで、
ぽかーーーーんっと
世界が広がっていくような感じがして、
とにかく、その面白いような開放感が
ホントたまらなく好きだった。
知り合いの理科の先生に聞いてみた。
「地球に宇宙人は来てると思う?」
「いるよ。
隣に住んでいる人が宇宙人かもよ。
地球にまで来ることができる文明を持っている
宇宙人なら、(ものすごい精度のよい
移動装置を作れるということだから)
地球人と同じような姿に
変わることなど簡単にできるはず。
そうかんがえると、ものすごい数の宇宙人が
地球上にいるんじゃないかなぁ」
・・・・・・そうかぁ・・・・・・・
なんだか、不気味だなぁ・・・
おばけとか、宇宙人とか、基本的に、
眉唾くさいよなぁー
と処理する傾向の強い私としては、
ちょっと、ぶるぶるしてしまう。
でも・・・・宇宙の際限の無い深い広さを考えると・・・
むむむむ・・・・・ぶるぶる・・・・・
形を変えて・・・・
私や、あなたは、いろんなところに偏在しているのかもしれない。
私は、おそらく宇宙人ではないけれど、
死んだら、宇宙の塵くらいにはなるだろう・・・。
今はもう無いプラネタリウムだ。
大きく、古く、どっしりとした風格。
真面目に星の勉強ができそうな、
落ち着きのある空間。
長い間、大事に使われてきた
人の手がきちんと入っているような、
味わいさえ感じさせる
地味だけど、居心地のよいプラネタリウムだった。
想像を絶する、広い広い宇宙空間で、
たくさんの星が生まれて、死んでいく。
私は、珍しく、そのとき、宇宙人について
考えていた。
これだけの星があって、たまたま地球に人間がいるが、
ほかの遠い星にも、たまたま宇宙人がいても
不思議は無いだろう。
しかし「宇宙人」といっても、人の形をしているとは
どちらかというと思えない。
地球人が、認識できないような
形状やら、状態やらで、生きているのかもしれない。
重力も当然違うから、
基本となる、生き物の形は、根本的に
その環境に左右されるだろう。
全く、理解不能な信じられないような
世界があっても当然不思議ではないだろうなぁ。。。
等等。
昔から、理科の授業で、星とか、宇宙の話になると、
いろいろ想像が果てしなく膨らんで、
ぽかーーーーんっと
世界が広がっていくような感じがして、
とにかく、その面白いような開放感が
ホントたまらなく好きだった。
知り合いの理科の先生に聞いてみた。
「地球に宇宙人は来てると思う?」
「いるよ。
隣に住んでいる人が宇宙人かもよ。
地球にまで来ることができる文明を持っている
宇宙人なら、(ものすごい精度のよい
移動装置を作れるということだから)
地球人と同じような姿に
変わることなど簡単にできるはず。
そうかんがえると、ものすごい数の宇宙人が
地球上にいるんじゃないかなぁ」
・・・・・・そうかぁ・・・・・・・
なんだか、不気味だなぁ・・・
おばけとか、宇宙人とか、基本的に、
眉唾くさいよなぁー
と処理する傾向の強い私としては、
ちょっと、ぶるぶるしてしまう。
でも・・・・宇宙の際限の無い深い広さを考えると・・・
むむむむ・・・・・ぶるぶる・・・・・
形を変えて・・・・
私や、あなたは、いろんなところに偏在しているのかもしれない。
私は、おそらく宇宙人ではないけれど、
死んだら、宇宙の塵くらいにはなるだろう・・・。
by crayon-pastel
| 2004-10-16 23:46
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